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カリスマ
カリスマとは、突如どこからともなく光臨するものではない。周囲の偶像崇拝者達によって作り上げられるものなのだ。

今日はおそらく、カリスマの死を悼む崇拝者達の声が方々であがる事だろう。だが私には、彼はそうした崇拝者達に殺されたのだと、そのように思える。彼は己の鬱屈した内面の心情を詩に乗せて吐露していた。その詩を見れば、そこには「甘え」の構造がありありと見て取れる。彼はとにかく誰かに自分の思いを聞いて欲しかっただけなのではないのか。かまってほしかっただけなのではないのか。

だが、その声は本来届いて欲しかった所へは至らなかった。そしてそれを受け止めたのは、彼と同じような思いを抱く者たちであった。自分が内に抱えて苦しんでいるのと同じ事を彼は声を大にしてぶつけている。自分には出来ない事を平然とやってのける、そこにシビれる、憧れるゥ!

こうして彼はジョジョに、いや徐々にカリスマとしてまつりあげられていく。どんどん偶像崇拝者が集まる。当然である。カリスマの発する言葉は何も特別な事ではなく、その年頃の者なら誰でも一度は考えるような事だからだ。あの人もこの人も息をしている、自分と同じだ!スゴイ!などとシンパシィを覚えるだろうか。それと同じことなのだが。

カリスマとその崇拝者。構図は出来上がった。これが悲劇のはじまりである。ただただ弱くて苦しくて寂しくて、助けて欲しくて叫んでいただけなのに、いつの間にか周りが自分にすがっている、頼っている、救いを求めている、依存している。

自らの苦しみを吐き出していた筈の声はいつしか、「代弁者」としてのパフォーマンスに成り果てた。偶像崇拝者たち総ての苦しみを彼一人が一身に背負わされているのだ。彼の声は周囲の者に救いをもたらしたが、果たして彼自身に救いはもたらされたのか。

十字架を背負ったカリスマがたどり着いた場所はどこであったか。ゴルゴダの丘だ。
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