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さらすな日記
昨今俄かにブログの数が増え、さまざまな物議を醸している。のかどうなのか実際のところはよく知らないが、「個人の日記を公共の場に自らさらすというのは果たしてどうか」「如何せん検索の邪魔である」といった否定的な声があるのは凡そ事実であろう。

斯く言う私もかつては否定派であった。「ねむい。」だけの学生のケータイメールみたいな記事や「ネタがない。」だったら書くなよ!というようなもの、レビューサイトかと思いきゃ「購入予定」でタイトルだけ羅列したものなど、ハズレを引いた時のショックたるや相当なものである。短いのがダメ、長ければヨイというのではない。要は質の問題だ。たとえば川端康成の「掌の小説」ではそれが顕著に見てとれる。

そんな私も今では否定派どころか自分でこういったものを書いているし、人の書いた物も読む。石が増えれば玉も増えるもので、最近は個人のブログでも読んでいて楽しい物が多い。言い方を変えると、私のニーズにマッチするコンテンツに出遭う機会が増えたという事なのだが。先述の私的ハズレにしてもどこだかには需要があるのやも知れぬ。かなりニッチだとは思うが。

だから私は「日記なんかさらすな」「チラシの裏にでも書け」とは言わぬ。だがこうして公共資源を消費して書き物をさらしている以上、ここが人目に触れた際にハズレ感を与えないよう多少なりとも配慮したい所存ではある。かといって、フォントのサイズや色を変えたりしてあからさまに笑いを取ろうとは思わないが。

おそらく「侍魂」辺りに端を発するであろうこの「フォントいじり系」なるもの、一時のブームを経た今ではバラエティ番組のテロップ同様すっかり当たり前のものになっている感がある。ただこれに対し受け側までもが脊髄反射的に笑ってしまうというパブ犬ライクな状況は冷静に考えると非常に恐ろしいことである。そのうち映画館などはホラーやサスペンスを上映してても爆笑の渦に飲み込まれる事になるだろう。

私は「フォントいじり系」以前にもっと衝撃的なコンテンツに出くわしていたので、このブームにはイマイチ乗り切れなかったのかもしれない。その衝撃とは、今は亡き「『雑文館』」をはじめ「それだけは聞かんとってくれ」「森で屁をこく」「大西科学」といった雑文サイト群である。

当時の代表格であった「『雑文館』」の閉鎖を受けてか「それ聞か」も「屁をこく」もほぼ同時期に更新がストップしており非常に残念ではあるが、その膨大なアーカイブには現在も触れることができる。「大西科学」は現在も健在だ。それぞれ、一つの記事がおそろしく長い(尺度として挙げるなら、ココの比ではない)ので余程の読書好き以外には敢えて一読を薦める事はしない。

ただ、彼らは一様に「読んでもらう以上は面白い物を」というルールあるいはモラルないしはモラールを欠く事無く書く事を旨としていたのだという事だけは記しておきたい。そしてそれに悖らぬクオリティとクオンティティが備わっていたという事も。

私に内在する「書く欲求」みたいなものが、彼らに感化されて芽生えたのだという事は自明であるが、だからといってココの各エントリがいちいち長文なのは単に文章を簡化する能がないだけだという事もまた自明である。
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